
ディアンジェロってどんなアーティストだったか?
今まで聴いてきた音楽が、すべて霞むほど魅力的な曲を作った人。
1995年に〈Brown Sugar〉でデビュー。
10代にしてすでに、70年代ソウルを再構築しようとしていた。
ネオソウルの体現者を運命づけられてたような人だと思う。
コーラスかハーモニーかわからない、多重録音された歌声は衝撃的で、
30年経ったいまでも色褪せない。
ただ、ディアンジェロがマスに受けたとは言い難い。
彼の音楽を味わうには、ある程度の音楽的素養が必要になる。
マスに媚びず、自分の中の音を探し続けたディアンジェロ。
2025年10月14日、彼は本当に静かにこの世を去った。
最後のアルバム〈Black Messiah〉では、
身も心も削りながら声を絞り出していたように感じる。
彼は最後、何を思い、どんな気持ちだったのか。
ファンとして自分なりに整理すると、
Brown Sugarが最高傑作と考えると色々しっくりくる。
アメリカのマッチョイムズ
当時のアメリカの黒人社会は、2PACに代表されるような「強さ」がクールの条件。
それは筋肉だけじゃなく、声のトーンや立ち姿、そして“生き方”までも。
マッチョでなければ、説得力が持てない時代。
そんな時代に、細身で繊細な青年がファルセットで
歌った曲が音楽シーンを一変させた。
それがディアンジェロだった。
〈Brown Sugar〉は瞬く間に時代を変えたけど、
同時に「ファルセットを歌う男」「セクシーな黒人」という
ステレオタイプのラベルも貼られた。
繊細な彼がどう感じたか──
あの肉体改造は、ただの見た目ではなくて、
世間の欲望にさらされた自分を守るための、精神の鎧と考える方が自然。
少なくともマッチョ文化への憧れではないと思う。
「お前らが見たい“セクシーな黒人”を演じるくらいなら、
その像を自分で作り直してやる」そんな風に感じる。
この感覚、ちょっと三島由紀夫を思い出すんですよね。
三島由紀夫というかトレントレズナー(NIN)の方が近いかもしれないけど、
ディアンジェロの“マッチョ化”も、あれは自己防衛と自己演出の両方だと思う。
ネオソウルの精神的ルーツ
ネオソウルは、「黒人男性が、強さ以外の表現で自分を語ろうとしたムーブメント」
Q-tip、Questlove、J Dilla界隈。
マッチョイズムが支配していた90年代のR&B/HIPHOPの中で、
彼らは“機械のような完璧さ”ではなく、“人間のズレ”を選んだ。
ギャングスタ系に対して音楽性と知性で存在をアピールした。
ファンクやゴスペル、ジャズ──
かつて黒人文化が培ってきた“祈りと呼吸のリズム”をもう一度取り戻す試み。
ネオソウルのグルーヴは単なる「ゆるさ」じゃなく、70年代ソウルを再構築。
ATCQの初期のアルバムもレアグルーヴへのリスペクトをふんだんに感じる。
ファレルがやっていた N.E.R.D も、
マッチョ文化に対する別の抵抗だったと思います。
暴力ではなく、知性とユーモアで乗り越えるという意味で。
Voodoo
問題のVoodoo。
Brown Sugarの路線を明らかに引き継がなかったアルバム。
いや、もしかすると──引き継げなかったのかもしれない。
ディアンジェロ程の才能であればBrown Sugar路線だけでいくのは確かに勿体ない。
アメリカの評論家から同世代のミュージシャンも最高傑作と絶賛。
わからなきゃいけない音楽、という空気がある。
でも音楽って、もっと本能的であっていいと思うんですよね。
独自のグルーヴ、音楽的に高度なズレの美学。
わかるんですが、正直のれない。アルバムを通した緊張感がつらい。
お前はディアンジェロの事を何もわかってないと言われそうですが、
正直なところFeel Like Makin’ Loveしか聴けない。
Untitled
この曲だけはBrown Sugar特にLadyの流れをくんでいる。
Raphael Saadiqとやってる事からも明らか。
でも正直、曲として何がいいのか全然わからない。
Voodoo全体のトーンとも、全然違う。
マスに媚びないディアンジェロがこの曲だけ、R&Bスターを演じた気がする。
UntitledのMVを含めた世間の評価がディアンジェロを苦しめたというが、
そこに至る経緯は、かなり複雑だったような気がする。
要は演じた自分が一人歩きした。
僕にとってVoodooはすごいなと思うけど、聴かないアルバム^^;
でもディアンジェロという人間として見た場合、一番想像をかき立てられる。
2012年のインタビュー
「“Untitled”が出てから、ステージに立つと女性が俺の服を脱がせようとした。
誰も俺の音楽を聴こうとしなかった。」
と言ってもドライに言えば自分で選んだ道、
でもそうなってしまったプロセスやプレッシャーがどんなものだったのか。
Brown Sugar があまりに革新的で、ディアンジェロ前と後と
分けられるほどのインパクトだったからこそ、
彼はそれを壊さざるを得なかった。
それがVoodooだと思う。
Black Messiah
僕の好きなディアンジェロが帰ってきた。
結果的に遺作となったBlack Messiah。
これがもう10年以上前。。
Voodooと比較すると非常に立体的で奥行きのあるアルバム。
いい意味でプリンス的。
The Charadeが特に顕著で音が鳴りやんでから、ドラムのベースが
入ってくるところ、ベースのアタックも強くて明らかに意図されている。
この曲が今は一番好き!
Voodooが平面的というのは誤解を招きそうですが、ヒップホップのトラック的な
Voodooとバンドサウンド全開なBlack MessiahではどうしてもBlack Messiahの方が立体的。
結果的にこの10年で一番聴いたアルバム。
アルバム全体の印象は切なくて絞り出してる感じ。
もう次のアルバムは出ない感というか。
才能が枯れたとかそういう次元ではなく、完成品という印象
身体も声も削りきった先に残った“人間そのもの”の音。
Voodooで壊した“自分”の残骸からの再構築がBlack Messiahだったのかも。
やっぱり40も後半になるとBlack Messiahの曲調はしっくりくるんですよ。
いい意味で年齢を重ねたディアンジェロの楽曲、中年の身に沁みます。
卓越された楽曲の中に、消費された中年の哀愁を感じているのかも知れません。
Brown Sugar
魔法としてのBrown Sugar
一見ハーモニーっぽく聴こえるけど、実は全部コーラスらしい。
理論で積み上げた和声じゃなく、呼吸とタイミングでできた層。
コーラスとハーモニーの組み合わせが、誇張ではなく、本当に唯一無二で、こんなアルバムは今まで聴いた事がなかった。
声がずれる、寄り添う、また離れる。
偶然のようでいて、すべてが必然の呼吸。
普通ならノイズになる“ズレ”が、彼の手にかかると神聖な一体感になる。そこに譜面も理屈もない。
あるのは“人間そのもの”のリズム。
だから何層重ねても、うるさくならない。
甘いのに、飽きない。
奇跡という言葉を使いたくなるアルバム。
それが、ディアンジェロの魔法だった。
あのとき彼は、音楽を「降りてくるもの」として扱っていたような感じ。
だから〈Brown Sugar〉は、神の旋律と言ってもいいかもしれない。
でも神の旋律を形にしてしまった人間は、次に何を信じればいいのか。
彼にとって、それが〈Voodoo〉という苦行の始まりだった。
呪縛としてのVoodo
でも、その魔法は同時に“呪い”でもあったと思う。
完璧すぎる初作は、再現不能な瞬間として彼の中に残った。
もう二度と同じ呼吸では歌えない。
それを超えようとした時、彼は理屈や筋肉や精神を総動員し始める。
Voodooは、あの魔法を理性で再現しようとしたアルバム。
呼吸でできた奇跡を、思考で制御しようとした結果、
音が「人間の揺らぎ」から「存在の苦しみ」に変わった。
──たぶん、魔法を意識した瞬間、魔法は消えた。
身体を鍛え、祈りのように歌う。
でも、もう“魔法”ではなく、まるで“儀式”のよう。
奇跡を得た代償として、彼は何かを差し出してしまったのかもしれない。
Black Messiahへ
Black Messiahでは、ようやくその呪縛を受け入れてる気がする。
かつての魔法を取り戻すんじゃなく、
壊れたままの自分を音にしている。
声が震え、滲み、削れている。
でもそれが妙にリアルで、救いがある。
──たぶんD’Angeloは、魔法を失って初めて“人間”に戻れたんだと思う。
ディアンジェロとはなんだったのか
まさにネオソウルの体現者として生きたディアンジェロ
でも考えようではBrown Sugarが最高傑作だとすると、本当に切ない。
Brown Sugarという神の祝福が結果的に悪魔との契約になったような。
この歳になって思うのは、70年代というのはソウル、ブラックミュージックの黄金期。
それを現代的にもっとも高いレベルで再構築したのがディアンジェロ。
ディアンジェロの登場以降、ネオネオソウルなR&Bが増えたけど、
コアで本物はやっぱりディアンジェロだけ。
ブラックミュージックの黄金期を、HIPHOPの感性も持ちながら、
現代の音楽として表現した繊細な天才。
マーヴィンゲイやスティビーワンダーのようなマスの存在では無かったけど、
明らかにそのレベルかそれ以上の功績。
これからはAIが音楽を作る時代になるのかもしれない。
でも、呼吸でできた音楽を超えるものは、きっとない。
Voodooが最高傑作という風潮にもの申す!みたいな所はあります^^;
でも実際は3作ともすべて名作、その背景やアルバム毎の濃淡で私みたいな奴もいるんだな、くらいに思って頂けると幸いです。
D’Angeloは、きっと今後も新しいファンを産み出し続ける。