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中年の生活再構築ブログ

「メンタルが強い」って都市伝説じゃない?

メンタルが弱いなって思う時ってどんな時でしょう?
すぐに傷ついたり、ナイーヴになったり、それを隠す為に強がったり。。

 

私自身メンタルが強くなりたいと思った事がありますが、それは幻想なんじゃなかと。
そんな数字で計る事が出来ない、誰も見たことが無いけどそれがあると言われる

 

例えば筋肉の強さは、〇kgのベンチプレスを上げれる、懸垂が〇回出来るというように
定量的に計る事が出来ます。
メンタルの強さには一切の定量性がありません。


メンタルが強く見える人の例


メンタル強い人 3歳までの子供

私は子育ての真っ最中ですが、3歳くらいまでの子どもって、まだ“動物”に近い。
眠ければ寝て、空腹なら泣き、気が済んだら笑う。
過去も未来もなく、“いま”だけを全力で生きている。

 

うちの子を見てると、心って本来こういうもんなんだなって思う訳です。

「さっき怒られた」「どう思われた」なんて考えないから、病むという概念もない。
理屈や比較がない分、感情の回復が速い。

 

3歳児が“強く見える”のは、メンタルが鍛えられてるからじゃなく、
“弱さを定義していない”から。

それって、最も自然で、最も強い状態なのかもしれません。

 

じゃあ大人はどう生きればいいのか。

ここで出てくるのが「視座の高さ」という話です。

メンタル強い人 視座が高い

たまにいますよね、メンタルが強く見える人。
私の周りにもいます。
怒られても、裏で悪口言われても、平然としてる人。

 

その人を見ると、「メンタル強ぇな…」って思うんですけど、
よく見てると、たぶん“強い”というより“高い場所から見てる”。

 

さっきの「3歳児」は本能で生きてる感じ。
それに対して、このタイプは理性の向こう側にいる。
同じ「今を生きる」でも、野生じゃなくて、上空からの視点。

 

たとえば嫌なことがあって、落ち込んで、
「うわ、もうムリ…」ってなったときに、
明日死ぬってわかったら、どうでもよくなるじゃないですか。

 

その時に目の前の嫌なことよりも、あと1日どうやって生きるかに全集中する。
まあ、強制的に視座を上げる例えですけどね。

 

周りでメンタル強く見える人を観察してみてください。
多分その人は視座が高いんです。

 

これは実は難しくて、自分より視座が高い人の動機も視点も見えにくいんですよ、
だって、自分より視座が高いから。
その人の動機も根源も理解出来ないので、メンタルが強いと解釈してしまってるのかも知れません。

 

メンタル強いと自分で言ってる人は、だいたい○カ

自分で「オレ、メンタル強いんで」って言ってる人、
ちょっと距離取った方がいいです。

“鈍感=強い”って勘違いしてる可能性大。
本当は、感じる力が鈍ってるだけ。

 

メンタルも同じで、
感じることを放棄したら、そりゃ傷つかない。
でもそれはただの麻痺です。

 

本当に強い人もちゃんと傷つく。
でも、そこに浸らない。
視座が高いんで昇華しちゃう。

 

三島由紀夫氏の見解

この動画みて、あーそうだなーと思ったんですよ。
世間では「強くあれ」「生産的であれ」というのを声高に要求する事が
魂を疲れさせていると。

 

「強くあれ」「生産的であれ」と声高に言わないといけないと言うのは
逆説的にいうと人間は本来、弱くて非生産的なのではないかと。

 

人間は本来非生産的というのは誤解を招くかも知れませんが、
世間が求める生産性と人間本来の生産性というのは乖離があるのではないかと。

動画の要約はこちらですが、弱さを受け入れて人生を構築する方が本来の豊かさ
なんじゃないかと解釈しました。

・人は「弱い存在」であることを、まず受け入れること。
・その「弱さ」を無理に隠したり否定したりするから、自己肯定感が揺らぐ。
・真の自己肯定感とは、完璧さや強さではなく、「自分のこの弱さも含めて自分だ」と認めるところから始まる。
・弱さを自覚すると、他人の強さにも過度に依存せず、自分の価値を自分で感じられるようになる。
・実践としては、日常の中で「できなかったこと」「苦しかった場面」を振り返り、それを恥じるのではなく「自分が経験したこと」として自分に許す。

 

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結局今の日本の状態って三島氏が予測した通りになってます。

 

「強さ」は目的じゃなく“副産物”

本当に強い人って、「強くあろう」としていない。
むしろ、“どうでもいいことを手放せている人”。

極端に言うと、一文無しになってもそれはそれ。
と思えるようなメンタリティ。

 

「メンタルを鍛える」って発想そのものが、
もうすでに“強さ”に執着してる証拠。

呼吸を意識しすぎると苦しくなるように、
心も意識しすぎると固くなる。

 

本当の強さは、意識の外にある。
それは“何かを得た結果”じゃなく、“手放した後”に残るもの。
だからこそ、強さは目的じゃなく——副産物だと思うんです。
 

大事なのは情緒

メンタルが強い弱いの2軸で考えるのって、人生勿体ない気がするんですよ。

 

私は読書家では無いのですが、昭和の偉人が好きで、
岡潔さんもその一人。

 

岡潔は『春宵十話』の中で、

「情緒こそが人間の心の根であり、知性も意志もそこから生まれる」
と語っています。

 

この“情緒”という言葉には、単なる感情ではなく、
他者や世界と共に感じる力が含まれている。
人の痛みに気づけること、季節の移ろいに胸が動くこと、
誰かの言葉に静かに涙が出ること。
そういう優しさの総体が、岡の言う「情緒」です。

 

最近、自分の中でこの“情緒”を垣間見る瞬間がありました。
忙しさに追われて、何も感じないまま一日を終えることが増えていたんですが、
ふと子どもと歩いた夕方の空がやけにきれいで、
その一瞬だけ時間が止まったように感じたんです。
※ブログタイトルの由来

 

あれはきっと、情緒の瞬きだったんだと思う。

田我流の「ゆれる」にも通じるものがあります。

 

メンタルの強さなんて、本当はこの情緒の上にしか存在しない。
情緒を失ってまで折れない人は、もはや人間性を引き換えにしてると思う。

 

強くなるより、やさしくいること。
それが、いちばん折れない生き方だと、私は岡潔さんから学びました。

やっぱりメンタルが強いって都市伝説じゃない?

 

…とか言いながら、まだ自分もぜんぜん分かってないんですけどね(笑)

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